Walk to the Water

限定的な洋楽オタクの徒然

映画『イエスタデイ』の世界についての考察

私の書く記事、改めて見ると読みづらいですね。学校の課題とかだと割とまともに書けている(と思う)のに、どうにも好きな事について書くと訳分からん文章の構成になるようです本能で書いてるからなのか?とりあえず、改善の余地ありってところでしょうか。もう少し冷静になって書かなければいけませんね。

 

さて、本題に入ります。今回のテーマは「映画『イエスタデイ』に描かれるビートルズのいない世界とは一体何なのか?」です。

もちろん作品のネタバレを超が付くほど大量に含みますので、本編を観てない方は速攻でブラウザバックなりタブ閉じるなりしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいですか?

 

このまま進んで後悔しても私の方での責任は負いかねますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう少し進んだ先から始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画の後半で自分以外にもビートルズの事を覚えている人たちがいると知った主人公のジャック。その2人から「ある人物」の連絡先を手渡される。ジャックが連絡先の住所を訪ねると、そこには海に面した家があった。何とその家には、すっかり年を取って老人になったジョン・レノンが住んでいたのだ。そうだと知っていながらも驚くジャック。そしてジョンはジャックに短い身の上話を語る。曰く、彼はずっと船乗りの仕事をしていて、妻と共に平穏で幸せな人生を送ってきたと。別れ際、ジョンに年齢を聞くと彼は78歳だと答えた。ジャックはこの世界のジョンが長生きしていた事に心を打たれ、最後に彼とハグを交わしてジョンの元を後にした。

 

要約するとこんなシーンでした。ビートルズの無い世界でジョンは大きな富や名声の代わりに、普通だけど幸せ(と思える)人生を得て、悲劇的な死を遂げる事も無かったのです。

私はここで改めて疑問が浮かびました。果たして、ビートルズがいない世界はどのような選択を辿った世界なのか?

 

ここからは私の完全な想像・個人的考察に入ります。

よく歴史改変もの等で「もしもあの時の○○△△だったら」という「もしも」がありますよね?映画『イエスタデイ』も実際の世界とは異なった、所謂パラレルワールドの世界を描いています。また、ビートルズ以外にもコカ・コーラやタバコ、ハリー・ポッターシリーズ作品などが存在しません。但し今回の焦点はビートルズなので、これらについての話は省きます。

 

先に結論を述べますと「ビートルズのいない世界」は「ジョン・レノンが父親と一緒に暮らすと決めた世界」だと私は考えます。

その理由として一つの話を挙げます。ビートルズの熱心なファンならご存知の方も多いと思いますが、幼少期のジョンについてこんなエピソードがあります。

ジョンが5歳だった時のとある夏の日。それまで行方を眩ましていた父親のフレッドが突然やってきて、ジョンをリヴァプールの北にある街・ブラックプールに連れて行きました。これを知った母のジュリアは直ぐに後を追い、一緒にいた2人を見つけます。そしてジュリアはジョンに過酷な選択をさせました。それは「お父さんかお母さん、どっちと一緒に暮らしたいのか選びなさい。」という内容でした。ジョンは始め父を選びましたが、去っていくジュリアの後ろ姿を見て、泣きながら彼女を追いかけて母と暮らすのを決めたのでした

このエピソードの信憑性には諸説ありますが、事実ならばジョンの運命が分かれた重大な分岐点と言えます。この時、フレッドはジョンを連れてこのままニュージーランドに高飛びしようとしていたのです(尚、これはジョンの保護者を務めていたミミ伯母さんにも秘密にしていたようです)。即ち、父親の方を選んでいれば、ジョンはリヴァプールを離れる。従って、ビートルズも存在し得なかっただろう、という事です。

ここで映画『イエスタデイ』に話を戻しましょう。ジョンは長年、船乗りとして働いていました。現実ではジョンの父・フレッドも船乗りでした。この事から私は「ビートルズのいない世界でのジョンは、父親と暮らして船乗りになった。」というのが私の主張です。

 

と、まぁここまで長々と書いておいてやはり気になるのは他の3人だったりします。ジョージは生きてるかな?ポールとリンゴはどんな風に過ごしているんだろう?

別に私の考えが当たろうが外れようが、どれに転んでも全然気になりません。考察するだけなら自由なので。

「あっちの世界のジョンにも子どもはいるのだろうか。奥さんがどっちなのかにもよるよな〜」とも考えてます。個人的に気になる点その2です。

 

 

ここからはおまけでビートルズのいない世界で有り得る事について書いていきます。

皆さんご存知の日本武道館がポピュラー音楽の殿堂とも呼ばれるようになったのは、ビートルズがかの地で来日公演を行ったからです。当初は「武道の聖地でコンサートをするなど言語道断」と主張する保守層の強い反発がありました。公演当日でも開催に反対する演説をする人もいました。しかし来日公演は厳重な警備の中で無事安泰に終わり、その後ビートルズにあやかってコンサートを開催するアーティストが続々と現れました。

恐らく映画『イエスタデイ』の世界では武道館は武道の聖地のままで、ポピュラー音楽に開かれる事はなかったのでしょう。

 

それと似た会場がアメリカにもあります。コロラド州ジェファーソン郡のモリソンという町の近くに、レッド・ロックス(Red Rocks Amphitheatre)という屋外円形劇場があります。会場の歴史は1906年まで遡りますが、現在の舞台と座席は1941年に完成したものです。オープンから暫くはオペラやクラシック音楽の公演が開かれていましたが、やがて音楽のジャンルの幅は広がりました。実は、1964年に初めてレッド・ロックスでポピュラー音楽のコンサートをしたのもビートルズだったんです。ちなみに、同年のアメリカツアーでこの公演のみチケットが完売しなかったのだそうです。2000年にリンゴがオール・スター・バンドと共にこの会場で公演を行った際、観客に「36年前、ビートルズのコンサートにも来ていた人はいるかい?」と聞いたと言われています。実際にいたかどうかまでは分かりませんがね

ビートルズのいない世界では、レッド・ロックスでジミ・ヘンドリックスジョン・デンバーカーペンターズU2などのコンサートも開催されなかったと思います。

 

それだけでなく、楽曲の録音技術やコンサート会場のPAの発達と会場の巨大化、そして何よりも世界に与えた影響は計り知れません。ビートルズが存在しないというだけで世界は全く違うものになる事をひしひしと実感しました。