Walk to the Water

限定的な洋楽オタクの徒然

Smash Hits誌・1983年1月20日号 U2の記事を和訳する

夜分遅くに失礼します。

今回は題名の通り、音楽雑誌の翻訳です。本ブログではもう毎度お馴染みのSteveさんが、自身の撮影した写真を使用した音楽雑誌Smash Hitsの記事をインスタグラムに投稿されていたので、そちらを翻訳してみました。

元々は自分で読む用に文字を打っていたんですが、作業を進めていくうちに「これは他の人たちにも読んでもらいたい!」と思ったので投稿します。ちなみに所要期間は約2週間。DeepL翻訳と英和辞典を使いながら全文の翻訳に1週間、それから細部の修正に1週間といった感じです。先に書いておくと長いです。良ければお茶など飲み物片手に読んでくださいな。

 

掲載誌を知らない方に説明すると、Smash HitsはイギリスのEMAP(現・Ascential)社が1978年から2006年にかけて出版していた10代後半向けの音楽雑誌です(といっても見た目は新聞に近いのですが)。

 

※注意事項 英語と日本語の文法の都合上、文型の順番を変えていたり、読み易くするために若干の意訳を含めていたり、二つに分かれている鉤括弧を一つに纏めたりしています。ご了承ください。

波括弧{}:原文では省略されている部分の追記。

角括弧[]:文の別訳。複数の意味に捉えられる部分。

太字斜体字など、原文で使われている書体はそのまま使っています。

 

出典はこちら

 
 
 
 
 
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The X Factor (X・ファクター)

U2によると、それは本当の音楽とただのポップソングの違いだという。ティム・デ・ライルはアイルランドへ旅行して学びを得た。

 おべっか*1アイルランド人がそう呼び、よくするものだ。テリー・ウォーガン*2、イーモン・アンドゥルーズ*3ボブ・ゲルドフ… そしてU2について考えよう。まだよく知られる歌手ではないが四人とも巧みで、魅力的な、フルタイムのお喋りだ。大多数のロックスターたちにインタビューをする時は彼らから何か聞き出せるのか疑問に思うだろう。U2と二時間も一緒にいると彼らが話さない事は無いのかと思い始める。

 アイリッシュ海のこちら側にいる彼らのファンにとって1982年のU2は物事を簡単に捉えていたように見えるかもしれない。英国で彼らはシングル “Celebration”*4 1枚しか発売していないのだ。しかしバンドはロック音楽の世界には英国よりももっとあると指摘するのが好きで、一年中活動をほとんど止めず、世界を巡回してかなりの成功を収め、そして3月のどこかで店に並ぶ予定の3作目のアルバム “War” の作曲と録音をした。このアルバムからのシングル、素晴らしい “New Year’s Day” は既に発売されている。

 もしU2の新しいネタ[曲]がさほど無かったとすると、報道はもっと少ない。彼らは言うべき事は全部言ったとみなして過度な露出を警戒し、これまで一人か二人のポップスターが自らの宣伝で首を絞められてきたのをよく分かっているのだ。けれども、12月にU2はABCの「英国で最もインタビューされやすいロックバンド」という、非公式の称号を取り返すことに決めた。それでクリスマスの週にアイランド・レコードが私をベルファストへ飛ばしU2アイルランドツアーに24時間参加させた。

 

 ベルファストは小さな内戦の戦場だが、たくさんの人生が続く魅力的な地方都市でもある。『スマッシュ・ヒッツ』のクリスマス号でベルファストの読者が書いた「信じられないような話だけど、爆弾が爆発したり銃弾が頭上を飛んでいくような事は無くて、扉の外に鼻を出したりだってできる*5し、完全に普通の生活を送っているよ」という投稿が最初の印象だった。

 もう少し近付いてみると違いがよく分かる。機関銃を抱えた警察官が辺りを巡回し、場違いな装甲車がラッシュ時間帯の通行に混じり、親IRA派の落書きと破壊されたビルが僅かにある。私たちのホテルは、人々が言うには、27回も爆撃を受けたそうだ。西ヨーロッパで最も爆撃されたホテルだった。それを聞いた後で建物の周りを10フィートの鉄条網が囲んでいるのを見つけたのと警備員によって包括的な身体検査をされたのには安心した。

 U2ベルファストのメイズフィールド・レジャー・センターで公演する。途中でリードシンガーのボノ ―ちなみに「モノ」のように発音し「ヴォックス」と続けてはいけない― がグループ全員に共通する感覚と知性で、ベルファストの事について話す。彼は酔っ払いが兵士の悪口を言っているのを見たばかりだ。兵士は激怒し、その男をライフルで殴[撃]って気絶させた。この光景の悲しみは ―ふたりの個人的な問題ではなく政治的な情勢がもたらした― ボノの心を強く打った。彼は特に兵士が気の毒だと思った。しかし「ここには本当の暖かさがある」と、彼はベルファストを気に入っている。そして今夜、彼は異様な興奮[緊張]を感じている。

 それは他のメンバーも同じだ。彼らが “War” から演奏する曲の一つはアイルランドの紛争[厄介事]についてのものだ。“Sunday Bloody Sunday” という曲で彼らは当然ながらベルファストでどう記録される[どうなる]か心配している。

 メイズフィールドはほぼ満席で、観客も大部分が小中学生というよりかはバンドと同年代(20~22歳)で、小洒落た装いで既に楽しんでいるようで、ロンドンの無感動[無愛想]な群衆のようではなかった。彼らはU2を大声で、温かく迎えて、両手を頭の上に挙げる。

 そして “Sunday Bloody Sunday” の時が訪れる。ボノは緊張しながらもはっきりと心の底から、この曲は彼らのために書いた曲だと言い、反抗の歌ではない事を強調し(即ち親IRAではない)、もし彼らが気に入らなければ「ベルファストでは二度と演らない」と約束した。

 彼らがその曲を弾くと、大きな喝采が上がった。*6 後方にいた二人の悪漢が野次を飛ばし、卑猥な言葉を叫んで立ち去ったのを除いて全員が歓声を上げる。障害は取り除かれ、U2はリラックスして “Boy” と “October” を基にした素晴らしいセットを演奏し、二度のアンコールで終えた。

 

 これだけだとU2はとても真面目そうに聞こえるが、実際その通りだ―しかし彼らは厳めしい様とは程遠くライブはとても楽しかった。“I Will Follow” が鳴り響いた時は、私の近くにいたカップルがキスを中断して、ポゴとタンゴを見事に掛け合わせたようなダンス(ポンゴ―これは流行るだろう)を、息ピッタリに踊っていた。その間に[一方]ステージの上ではボノが走り、飛び跳ね、スピーカーの上に立ったり数人の女性ファンと一緒にアイリッシュ・ジグ*7を踊っていた。

 その後の楽屋ではより静かな雰囲気だった。グループとクルーはこれが彼らの最高の公演ではなかったと同意する。しかし一番重要なのは “Sunday Bloody Sunday” でありそれで彼らは喜んでいた。更にその後、ホテルにて、ボノは知り合いを紛争で亡くした時にU2の曲 “Tomorrow” (“October” に収録)が、自分にとって大きな励ましになった[大きな意味を持った]と言うファンに会う。そのように言う若者たちは、ボノにとって非常に大切な[大きな意味を持つ]のだ。*8

 翌日U2のバンドワゴン ―というよりも流線形のミニバス― はM1*9を下ってバンドの地元、ダブリンへ向かう。バスの中と彼らのお気に入りのウィンドミル・レーン・スタジオで、U2は自分たちの世界観を解き明かす。ボノ、エッジ(ギターとキーボード)とアダム・クレイトン(ベース)が殆どを話す。ラリー・マレンドラムス)は他の事で頭がいっぱいだ。これでは可能性が少ない。U2は私が今までに遭遇したどのグループよりも団結している。もしフランスの小説家がお決まりの表現にしなければ「一人は皆の為に、皆は一人の為に」は、バンドの座右の銘になっていただろう。

 U2が喋り出す時は、感情、情熱と傾倒というような言葉が大きく取り上げられがちだ― これらの言葉はケヴィン・ロウランドによるデキシーズ*10の酷いプレス広告以来、ロック界では悪名となっている。しかし、そこには情熱と愛着がある。私にとって、ロウランドのは攻撃的で腹立たしいものだが、U2は共感ができるし好ましい。

 ボノの本題は、バンドと観客の間にある壁を打ち破る必要性を除いては、彼がXファクターと呼ぶものである。これは本当の価値を持つ音楽と単なるポップソングの間にある違いだ。それは突き止めるのが難しいが、歌手が自身の個性を歌に込めること、自分らしくあること、本当の感情を引き出すことである。ボノは{ブルース・}スプリングスティーンザ・ジャムと若かりし頃のボブ・ディランが持ち、今日のスターの殆どは持たないと考える。

 ジ・エッジは同じ指摘を別の側面から述べる。「この新しいアルバムはイギリスのポップ音楽の主流で起こっていることに対するちょっとした反動なんだと思うね。この冷たいシンセポップは聴く分にはとても良いけれど、でも僕らは要点を失っていると感じる。そこには個性も、特徴も無い。仕事みたいに、その技術を持つ人なら出来るんだ。」

 「それは宣伝文句だと思うよ」と、アダムが言う。「嫌な言い方をすれば、僕たちはプログレッシヴ・ロックの分野にいて、とても正直なところ、その分野には他に4組ぐらいしかいないんだ。{音楽}市場の残りの部分はポップスとヘヴィ・メタルに分けられて、僕の耳には、実際の音を除けば同じ物に聞こえる。確かに規範は非常に似ていて、売り切れ{になる程*11}の品質や、露骨で無節操な手法とかもね。僕たちは{エコー・アンド・ザ・}バニーメンやシンプル・マインズのようなバンドと一緒に定義してきた異なる領域に入ってきているんだ。」

 「真剣に音楽を聴く人はヘヴィ・メタルのバンドやポップなもののために時間を持とうとはしない。今の多くの人々が注目しているのは、民族音楽やレゲエとかファンクで、そこから個性を感じ取っているんだ。そしてここが僕らの出番だと思うんだけど、素っぴんで、見窄らしいジーンズを履いている奴がそこに立っている、というようなプログレッシヴ音楽に対する人々の希望を僕たちは甦らせる― それが真実で、それこそが音楽のあるべき姿なんだ。」

U2へのインタビューは本格的な議論に発展するのが普通である。ロック音楽と芸能界の関係について考えた後で我々は “War” に話を移すことで現実に戻った。

 なぜこの題名なのか?「今年の流行語大賞みたいなものさ―新聞を開けば毎回それがあって、僕たちの音楽はその時に起こっている事を当てにする傾向がある。国家間の争いという一面的な物だけではなく、あらゆる種類の争い。音楽はもう少し積極[攻撃]的で、僕たちは人々のU2がどんな風かという先入観[偏見]から離れようと試みたんだ。」

 アダムはこう付け加える。「題名は、このアルバムの大雑把なところなんだ。すぐにハマれると期待しないでね。複雑って意味じゃないけど呼び起こされる印象の多くは悲劇的なものだ。僕らは誰もが自分の立ち位置を決めなければならない時を迎えた。破壊が一秒後に迫っている時代に生きているからこそ人々が考えるべき問題かもしれないね。」

 戦争だけでなく、このアルバムは愛についても扱っている。アダムが笑いながらこう言う。「ボノは、恋をしているんだ。」(昨年*12、彼は幼馴染の恋人アリソンと結婚した。) “New Year’s Day” には、これらの主題が集まっている。

 「これは、抑圧を背景にすることでより強力になるラヴソングなんだ」と、ボノは言う。「レフ・ヴァウェンサが抑留されて夫人が彼に会うのを許されなくなったことを潜在的に考えていたんだろうね。そしてこの曲を録音した時に彼ら[政府]は元日にポーランド戒厳令が解除されると告示したんだ。信じられないほど凄いことだよ。」

その背景を知っていても知らなくても、この曲は力強く感動的だ。暫くの間彼らは熱心な支持者を持ちながらも(スプリングスティーンのように)ヒットシングルが無かった。今の時好の潮流は彼らの有利に変わっているのだろう。「僕は、U2にとってこれ以上適した時期はないって実感するんだ」と、ボノは語る。自分のためになる事をしよう。“New Year’s Day” を買って彼が正しいという事を証明しよう。

 

この記事のおかげかどうかは分かりませんが、U2は “New Year’s Day” で初めてイギリスのシングル売り上げチャートTOP 10入りを果たしました。

今にまで続く彼らの快進撃はここが原点だったのです。

*1:原文では“Blarney”。アイルランド南西部・ブラーニー城の胸壁の頂にある石灰岩で、口づけした者は雄弁になれるという伝説を持つ「ブラーニー・ストーン」が語源。

*2:1938~2016 アイルランド出身のBBCラジオ・テレビ司会者。

*3:1922~1987 アイルランドのラジオ・テレビ司会者。

*4:原文ママ、正しくは “A Celebration”。

*5:どうしても意味が分からなかったので直訳です。慣用句か何かでしょうか?

*6:原文を直訳すると「彼らはその曲を弾く。それは大喝采を受ける。」になりますが、このままだと分かりづらいので意訳しました。

*7:ブリテン諸島の伝統的な舞曲の一種。

*8:原文ではどちらの部分も“meant/means a great deal to them/Bono” と同じ表現を使っているので併記しました。

*9:ダブリンと北アイルランドの国境を繋ぐ高速道路。

*10:デキシーズミッドナイト・ランナーズ。イギリスのバーミンガム出身のバンド、1978年結成。ケヴィン・ロウランドはこのバンドのフロントマン。

*11:ちなみに原文だと “sell-out”。一種の比喩か何かでしょうか?

*12:このインタビューは82年の年末にされたものですが、当記事掲載誌の発売が83年の1月なので「昨年」となっていると思われます。